北海道・三千桜酒造へ【杉本記者の取材後記】
「僕は教えるのが好きなんですよ。地元の方が継ぐということになれば、ここに来たかいも本当にあったと思う」。2020年に北海道の旭川空港近くに位置する東川町まで距離にして約1500キロ、酒蔵もろとも「世紀のお引っ越し」をした三千桜酒造で、今年も9月から日本酒の仕込みが始まった。同社の山田耕司社長は、「地酒というのは、地元の人がつくって地元の人に提供するのが基本」と語る。150年近くにわたってつないできたのれんを、東川町の担い手につなぐことを視野に入れている。
三千桜酒造のルーツは岐阜県南東部の中津川市。1877(明治10)年に創業し、旧中山道の宿場町として名高い妻籠や馬籠から車で30分ほどの地に蔵を構えてきた。山田社長は6代目にあたり、創業の地で杜氏を務めてきたが、蔵や設備の老朽化が懸案となっていたうえ、温暖化に伴って酒造りの過程で欠かせない冷却工程の管理に年々難しさを感じていたという。全面建て替えをするかどうかというときに、冷涼な気候の土地に新たに蔵を建てるという選択肢にたどり着いた。
北海道への移転をにらみ、複数の自治体と交渉するなかで「最も反応の速度が速かった」ことが決め手となり、東川町を第2の創業の地に選んだ。
東川町は人口減少に悩む全国の多くの地方自治体とは対照的に、30年にわたってゆるやかに人口増が続いてきた自治体として知られる。人口およそ8500人に対し、面積は247平方キロメートルと山手線内側の4倍にあたる広大さとあって、北海道最高峰の旭岳などが連なる大雪山系と水田が広がる豊かな自然を味わいながらゆとりを持った暮らしを求める子育て世帯の移住も少なくない。今年夏に小学校そばにできた61区画の分譲地もほぼ即完売だったという。ただ、いたずらに人口増を目指してはおらず、自然と調和した暮らしやコミュニティづくりに重点を置く。自治体みずから過疎ではなく「適疎(てきそ)」を公言し、「適正な余白」「ほどよいゆとり」をまちづくりの大前提としている。
三千桜の進出が決まると、JAひがしかわも協力。もともと地域団体商標を登録ずみの「東川米」というブランドで有名な北海道内でも有数の米どころだが、地元に酒蔵がなかったなどの事情もあり、作付けするのは食用米が主体だった。三千桜のために新たに2種類の酒米、「彗星(すいせい)」と「きたしずく」を栽培し始めた。酒のもうひとつの原料である水は、東川町の住民全員が地下水で暮らす「上水道のない町」であることからも品質は折り紙つき。「おいしい水、おいしい米があればおいしい酒もできる」との考えで、地域資源を生かした新たな6次産業の育成に地元も一丸となっている。
三千桜が本社を置く酒蔵を「公設民営」方式としたのも注目に値する。建設費は約3億5000万円で、うち三千桜が負担したのは数千万円。初期コストを抑えながら、未知の地で事業をスタートすることができた。一方、町側も農業振興や地域振興に関連した国の補助金などを活用することで「町として一般財源の持ち出しをなくすなど負担をなるべく減らした」(同町)という。「産業を誘致し、特産品が増えればふるさと納税での寄付金も増え、雇用創出や人口増加によって税収増にもつながる」というプラス効果に期待している。
実は三千桜酒造の隣接地には、ジンやウイスキーの蒸留所が新たに建設中。こちらは香港企業の日本法人が、東川町でとれた米や野菜を香り付けに使うことで特産品をつくることを目指している。同じ公設民営形式ということで、「三千桜モデル」の第2弾ともいえる。
山田社長が「次の100年先を見据えた」と語る大決断。「よそ者」を前向きに受け入れてきた新天地の気風と相まって、さまざまな化学反応を起こしつつある。