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【吉田編集委員の編集後記】いまから30年前…

いまから30年前、1993年に政府はその後の日本の農業に大きく影響する決断をしました。コメ市場の部分開放です。ガット・ウルグアイ・ラウンドと呼ばれる国際的な貿易交渉で、それまでずっと閉ざしてきた市場を開くことを決めたのです。農業界だけでなく、日本社会にも激震が走りました。

当時の日本の受け止め方は、「日本にコメを輸出したい米国による交渉」というものでした。米国が日本に市場開放を迫ったのは事実ですが、交渉全体の背景には食料供給に関するもっと大きな国際構造がありました。

米国と欧州の綱引きです。どちらも自国の農業を保護しながら、穀物の輸出先をめぐって激しく争っていました。各国の輸出補助金の削減に道筋をつけたウルグアイ・ラウンドはいわば「手打ち」とも言うべき場だったのです。そのうねりの中で、日本や韓国のコメ市場も対象になったのです。

国際交渉の前提となっていたのは、穀物の余剰です。米国と欧州が穀物を増産し続けた影響で、国際的に穀物が余っていたのです。長年続いてきたこうした構造が、ウクライナ危機で劇的に変容しつつあります。今回のゲストであるルアン・ウェイさんが重ねて強調しているのもこうした点です。


(左から)吉田編集委員、ルアン・ウェイさん、岡田アナ

米国にとって、小麦の主な輸出先になったのは日本です。日本の食生活の変化は、いまも日本人が実感している通りです。続いて輸出対象になったのが、アフリカなどの途上国。ここにロシアやウクライナも輸出国として加わったことが、ウクライナ侵攻をきっかけにした食料危機の遠因となりました。

日本を含め先進国が途上国になすべきことは明らかでしょう。途上国が食料の生産でもっと自立できるような、技術やインフラの支援です。輸出国の生産効率の高さをテコにした国際的なサプライチェーンは引き続き重要ですが、長期的にはもう少し自国産とバランスをとれるようにすべきです。

このテーマは、翻って日本にも農業構造の見直しを迫っています。輸入に頼る穀物の自給率を少しでも高めることです。多様で豊かな食生活を考えれば、完全な自給はありえません。それでも現状を改める余地はあるはずです。ルアン・ウェイさんの言葉には、そんなメッセージが込められています。


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